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モレスビな日々

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モレスビおっさんの旅行・グルメな日々

カテゴリ:旅行( 113 )

わたらせ渓谷鐵道に乗って足尾へ。足尾銅山観光という坑道に入れる観光施設もあるが、ここは在りし日に繁栄を誇った構造物が廃墟となっている姿を見に行くところ。わたらせ渓谷鐵道の終点「間藤」から徒歩で旧足尾銅山の門前町を通り抜けて精錬所などの工場群へと。
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銅山が廃坑になって精錬所なども廃墟になっているのですが、集落には住んでいる人も多く郵便局もあります。但しお店は少なく自販機も数える程。その昔は営業していたであろう売店も廃墟寸前です。
少し歩くと精錬所跡の巨大な建物が見えてきます。この建物は今でも何らかの用途に使われているのでしょう。
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わたらせ渓谷鐵道の廃線跡の鉄橋から見た精錬所跡の光景。
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左側の線路の上に見えるタンクは硫酸用タンクです。この工場の上の敷地には精錬過程で出る煙の硫黄成分を脱硫する設備があり脱硫する過程でできる硫酸もこの鉱山の産出物でした。タンクが3つ並んでいます。後ろの山が備前盾山で、この山こそが足尾銅山そのものです。この山の地下には無数の坑道が掘られており、この精錬所跡のすぐ近くにある本山坑から通洞駅の近くにある通洞坑(これこそが足尾銅山観光という観光施設です。)まで続いています。下を流れる渡良瀬川源流部の水は清冽な流れです。
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この精錬所跡の敷地には大煙突もあります。昔はこの敷地内に多くの建物・設備がありましたが最近撤去されて更地にしているようです。
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by sam3636sam | 2015-07-23 23:25 | 旅行
わたらせ渓谷鐵道の始発駅桐生はJRの桐生駅と共同使用です。桐生発間藤行649始発は630には桐生駅にいてディーゼルのアイドリング音を響かせていました。たった一両編成のディーゼル車ですがボックス席もありエアコンも完備。時刻通りに発車ですが他に乗客はいません。日曜日の始発には高校生も乗らないみたい。で、貸切でわたらせ渓谷へGoです。
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大間々駅では対向列車とすれ違いのため数分停車。車内から降りていろいろ見物。やはり誰も乗ってこなくて発車です。
大間々を過ぎると市街地を離れ緑の中を走るようになります。
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途中、水沼から高校生が乗ってきて神戸で降り、またまた貸切。草木ダムの横の長いトンネルを抜けるとわたらせ渓谷がガラッと趣きを変え清冽な清流となります。この辺りの川床は御影石なので川床が真っ白なんですね。
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清流の眺めを楽しんでいるうちにすぐに通洞駅を過ぎ、終点間藤駅に到着。この駅は「時刻表2万キロ」の終着の駅です。高校生の頃この本を読んで乗り鉄になりそうになりましたが感染せずに済みました、でも当時は熱中してました。間藤駅は無人駅ですが駅舎内には時刻表2万キロの常設コーナーがあります。今日はここから奥を目指し、足尾銅山の廃墟群を見に行きます。

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by sam3636sam | 2015-07-23 21:03 | 旅行
一昨年、富岡製糸場を訪れた帰りにちょっとだけ寄道した桐生市をお散歩してきました。この街って群馬の片田舎にありながらなぜか時代の最先端を行く街でした。江戸時代から絹織物業が集積し京都の西陣と並び称される程の規模であったこと、その絹織物が衰退し始める昭和後半にはパチンコメーカーの上位3社(平和、三共、西陣)が本社を構えた時代もありました。今となっては絹織物はほぼ壊滅、パチンコメーカーも本社を東京に移転してしまっています。こういう趨勢は京都とよく似ています。(京都はまだ著名なメーカーが頑張っていますが)
そういう絹織物業が盛んであった頃の遺構が街なかに残っています。ノコギリ屋根の工場です。屋根がノコギリ状の三角形になっていて、北側を向いた屋根の面がガラスで工場内に光を差し込ませるという構造。北から差し込む自然な光によって絹織物の色や出来具合を確かめていたとのことです。
木造のノコギリ屋根の工場、今では廃墟となっているようです。
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こちらは大谷石でできたノコギリ屋根の工場跡地。この建物は現在ワインの貯蔵庫となっています。
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ノコギリ屋根の工場内部はこのようになっていて、北側から差し込む光で結構明るいです。今では駐車場となっていますが昔は機織り機が並べられていたのでしょう。
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京都の西陣では今でも町家兼工場からカシャカシャと自動織機の音が聞こえてきますが、ここ桐生ではそのような音は聞こえてきませんでした。桐生は戦争の際に空襲を受けていないことから昔の建物が結構残っています。まだまだ奥の深い街であると感じています。

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by sam3636sam | 2015-07-22 22:23 | 旅行
群馬県万座温泉から長野須坂方面に進むと万座峠という志賀高原横手山がきれいに見える峠があります。さらに進んで須坂方面から左に折れた先に毛無峠はあります。道としては毛無峠で行き止まり、何でこんなところまで道を付けるのかと疑問に思うようなところです。
この峠は群馬と長野の国境、長野側は緑の山と谷なんですが群馬側は木のない禿山と荒地が延々と。そんな峠にロープウエイの支柱が数台。こんなところにロープウエイまたはスキーのリフトがあったのかと狐につままれたような感覚。
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群馬側はと言えば結構な山奥なんですが、荒地が延々と続きます。
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群馬側の下の方にも1基だけロープウエイの支柱があります。
さては昔は吾妻線の最奥の駅から観光用のロープウエイでもあったのかと思いましたが、そんなに遠くまでロープウエイが
続くわけでもなく。
よく調べてみると、ここには昔(と言っても自分はもう生まれていた時代)硫黄鉱山があって、その硫黄の運搬に索道が
ありあの鉄塔はその索道の支柱であったのでした。
その名も小串硫黄鉱山、最盛期には2千人を超える人がこのすぐ下に住んでいて採取した硫黄を運ぶのも生活インフラも
長野側に運んだり持ち込んだりしていたそうです。そのためにこの索道だけでは足らずにトンネルまで掘ったとのこと。
当時の硫黄は黄色いダイヤと言われるほどの貴重な資源。それが石油精製で硫黄が副産物として採れるようになると
天然の硫黄はコスト高のものに。昭和の高度成長期の頃に閉山になってしまって今では廃墟。
物の哀れを感じさせる近代産業遺産です。
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by sam3636sam | 2015-06-30 23:33 | 旅行
ニセコのお山の上、チセヌプリの麓にある高層湿原「神仙沼」です。
駐車場から歩いて20分ほど、木道の脇に高山植物であるチングルマが咲き乱れ、ハイマツが生い茂る。
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湿原なので水たまりがいっぱい。
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風がない日だったので水面に木や雲が映ります。
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by sam3636sam | 2015-06-22 23:14 | 旅行
伊賀に始まり淀で合流する木津川ですが、淀の三川合流(桂川、宇治川、木津川が合流して淀川となるその合流ポイント。)のちょっと上流に流れ橋があります。流れ橋とは洪水時に橋が丸ごと流されてしまうのを防ぐため橋桁を固定せずに流れに任せてしまい橋脚だけにすることによって流れの抵抗を逃がすというもの。流された橋桁はワイヤーで繋いであって洪水が収まると回収する仕組みです。橋桁には欄干がなくてちょっと怖いかな、と思いつつ橋の袂に行ってみると見事橋桁はありませんでした。ということで橋脚のみ、延々立っているという万里の長城ならぬ万里の橋脚です。
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橋桁が載っていればまっすぐの橋だったのですが。
何分橋脚のみ。
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川の水が少ない時には川床にも降りることができます。
神社の鳥居ではありませんが、伏見稲荷の如く橋脚だけがズラッと並ぶ姿は、これ絶景。
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by sam3636sam | 2015-05-04 23:42 | 旅行
お子さんの遊園地目的で鈴鹿サーキットに初めて行ってきましたが、当日はレースもやってなくてサーキットの観覧席が開放されていました。F1の時には満員であろう観覧席もこの日はガラガラで、広大なサーキットを目の当たりにしてこりゃ絶景だわと思いました。
また、サーキットではトレーニング中の車が走っていて、その爆音を聞いているだけで気持ちがワクワク。F1の甲高い爆音を聞いたらそりゃ興奮することでしょう。第二名神により意外と大阪から近くてまた行くリスト入りです。
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遊園地の観覧車から見たコースです。こんなコースを猛スピードで走るんですな。
奥に見えているのは志摩半島、その手前は伊勢湾です。
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by sam3636sam | 2015-05-04 22:30 | 旅行
台湾の台南に行ってきました。
途中の高雄に世界で二番目に美しい地下鉄駅があるというので寄り道です。
高雄火車駅の一つ手前「美麗島駅(フォルモサ)」です。
駅構内の天井が大きいステンドグラスになっております。
この駅はロータリー(ランナバウト)の地下に位置しているのですが、この
ステンドグラスの大きさは多分ロータリーと同じ大きさだと思います。
月曜日のお昼時だったので空いてましたからじっくりと見ることができました。
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by sam3636sam | 2015-04-15 23:22 | 旅行
台南は台湾の古都。台湾自体は大航海時代までは結構な未開の地で、ボルネオやフィリピンと同じように少数民族が小さく分かれて住んでいたのと、大陸福建あたりからの移民(これは中国の王朝の変遷と関係ありそうで、倒された方の王朝の一族が台湾に逃げ隠れしていたみたい)が住んでいたみたいです。台南はその中華系の人が住んでいたところを大航海時代になってオランダが攻め込み占領した地です。オランダは日本との交易の中継地として台湾を占領したんです、これがフォルモサです。そのフォルモサを守るためにオランダが建てたのが赤崁楼(オランダ名 プロビンティア城)。砦です。
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そのオランダが支配していた台南を取り返したのが鄭成功。明の人ですが長崎で生まれ育ち母親は日本人、日本から明に帰るや明が清になってしまいました。これは漢民族から満州民族への交代ですから、誇り高き漢民族は北京から逃れる訳です。華僑さんの始まり。そんな中、鄭成功はオランダが支配する台南を攻めて取り返します。よって鄭成功は孫文、蒋介石と並ぶ台湾の三大英雄。鄭成功はオランダに勝利したあとすぐに死去してしまい、鄭政権もわずか20年ほどで清に倒されてしまいます。この時鄭政権は時の徳川幕府に助けを求めていますが、徳川幕府も家光の代でまだ盤石とは言えずこの救援要請を無視、このあたりを近松門左衛門が題材に取ったのが国性爺合戦。
やはり台南は歴史のある街です。

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by sam3636sam | 2015-04-15 23:12 | 旅行
吉野に行った日に寄ってみた明日香の川原寺あたり。
近くの川沿いでは満開の桜並木。
桜並木から見上げる橘寺です。
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見事に満開の桜。
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橘寺の周りは菜の花畑。
本当にちょうどいい季節です。

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by sam3636sam | 2015-04-09 23:07 | 旅行